6 閉会式
それから何日かが過ぎ、あっという間に閉会式となった。
閉会式ではナンシーはホルンを、ユカはマウスピースを持って入場しようと言 うのがナンシーのアイデアだった。ユカは、それに加えてある事を提案 していた。
閉会式のセレモニーが始まり、入場行進が行われた。アメリカ合衆国の入場の 時ナンシーはホルンを持って入場。その姿が中央のモニターに映し出さ れた。 合衆国の入場が終わると、そこにユカが駆け寄って来た。
「じゃあ、交換ね!」ナンシーはホルンをユカに、、ユカはマウスピースをナ ンシーに渡した。そしておもむろにユカは「聖者の行進」を演奏し始めた。 人々の賑 わいの中、その音はかき消されがちだったが、ある人々の心を打ったのは確か だった。
「ホルンを持った射撃手」の傍で彼女のホルンを演奏する日本の陸上ランナー の話題はお茶の間の一服の清涼剤となったのだった。
ユカは、何度も何度も「聖者の行進」のメロディーを演奏した。
涙に、星空が滲んで見えた。ホルンをナンシーに返すと「ナンシー、何かやって よ!」と言った。
そこでナンシーは自分のマウスピースをホルンに取り付けると「双頭の鷲の旗 のもとに」を演奏した。
「ねえ、ナンシー、今のってアメリカの歌?」
「いいえ、元々ワグナーの曲で・・・」
こうして閉会式の夜は更けて行った。
7 帰郷
パンアメリカン航空の航空機に乗ってナンシーは今大会を振り返っていた。何 と言っても予選で六百点満点を取れなかったのが悔やまれた。でも自分 では満 点を取ったつもりではあった。そこに気の緩みがあったのか。彼女はそして的と 拳銃をイメージした。引き金を引き絞り、的の中央に命中させ る。でも、決勝 でフランソワーズと同点。あ、友情のメダル。本当に作ろうかなあ。
ユカ・・・いい友人になれそうな人と知り合えた。彼女は日本人。私はアメリ カ人?それとも日本人?まあ、ロシア人じゃない事は確かだし。
隣に座ったアメリカ女子選手が屈託ない笑顔と共にナンシーに話しかけて来た が今は他の選手と話をする気にはなれなかった。
そんな事を考えながらいつしか眠りに就いていた。目を覚ますと二時間ほどが 経っていた。窓にはアメリカ近辺の海の上空に浮かぶ雲のじゅうたんが 広がっ ていた。
「お客様へご案内申し上げます、当機はあと三十分ほどでロスアンジェルス空 港に到着いたします。当機はこれより最終着陸態勢に入ります。これよ り、化 粧室の利用はご遠慮下さい・・・」
しばらくして飛行機は徐々に高度を下げ、陸地も見えて来た。
着陸し、荷物を持って飛行機を降り、ホルンを受け取って税関を通ると『お帰 りアメリカ選手団ありがとう感動を!』と言った横断幕と共に『お帰り なさい ナンシー・ホールズよくやった銀メダル!』と言う比較的小さな旗が目に付いた。
母芙美子がその旗を持っていた。その周りにはマスコミ関係者が何人か。そし て学校の生徒達が楽器を持って曲を演奏していた。
「母さん!」ナンシーは叫ぶと母に駆け寄った。
「ナンシーさん、帰国第一声を何か!」マスコミ関係者の一人がナンシーにマ イクを向けながら言った。
「ナンシー・ホールズは残念ながらプラチナメダルは取れませんでした、って 書いて」
「よくやったよ、ナンシー。いえ、美枝子。父さんが自宅で待ってるよ、と 言っても仕事だけどね。お前に皆から、いい物をプレゼントにって送って 来た んだ。楽しみにしていな。」
「ホルン?・・・じゃないしな」楽器を持った生徒達がいたのでそう答えた。
「ホルンのマウスピース?・・・かな。それとも?何かわからないのがプレゼ ントだよね。渡されるまでのわくわく感がたまらないの。楽しみね」
「ABCテレビのラリーと言う者です!全米選手権の時インタビューさせて頂き ましたね。何か一言お願いします」
「頭の中は『ワルキューレの騎行』が鳴ってるわ、自宅に帰るしかない」
自分ではジョークのつもりだったが、ラリーは真面目に受け取ったらしかった。
「皆、お願い!」ナンシーが言うと、周りで楽器を持っていた学校の生徒達が 指揮に合わせて『ワルキューレの騎行』をひとくさりやった。
「ナンシー、皆に迷惑掛けるのはおよし。さあ、帰るよ」
芙美子に案内され、彼女の車に乗り込んだ。しばらく走ると、自宅に着いた。
「父さんの車がないわ。まだ帰ってないんだね」芙美子はそう言った。
二人はリビングに入ると芙美子が「ナンシー、お腹は大丈夫?空いていたら何 か作るけど」
「何かありあわせの物でいいわ。さっき飛行機で食べたから」
「じゃあ、こっちのありあわせのアップルパイをお食べ」芙美子は冷蔵庫の中 のアップルパイを出して「紅茶飲むかい?」と聞いた。
「お願い、温かいのにして」とナンシーは答えた。
ナンシーが紅茶とアップルパイを食べていると、玄関脇に車が止まる気配がし て父が家に入って来た。
「ナンシー、お帰りなさい」父のマーティンはナンシーをハグして頬にキスし た。ひげがチリチリして痛かった。見ると片手に紙袋を持っている。「お前の喜びそうなプレゼントを 持って 来たぞ」
マーティンは袋の中からそれほど大きくないケースを取り出した。
「お前が開けなさい」
そのケースを開けると、一見銀メダルと思えるメダルだった。
「銀メダル?でもソウルのじゃない。どうしたの?」
「ロスアンジェルスの金メダルを型取りして、プラチナで作ったメダルさ。お 前が頑張った証拠に、プラチナメダルを送ろうと学校や町内で声が上 がって ね、皆でお金を出し合って作ったんだ。お前に掛けてやろう」そう言うとマー ティンはその『プラチナメダル』を、呆然としているナンシーに掛 けた。
「一番大変だったのは前回のオリンピックの金メダルを貸してくれる人を探す 事だった。でも、皆の署名を見て、その人は快く貸してくれた」
「その人はだれ?」
「匿名で、と言う条件だからなあ。絶対他の人には漏らすなよ。実は、カー ル・ルイスさんだ」
「えっ!嘘でしょう、カール・ルイスさんが私の為に?」その事を聞いてナン シーは自制心を失った。涙は両目からぼろぼろ落ち、鼻水が鼻から出 た。気が 付くとソファーに座り、前屈みになって両目から落ちる涙を一生懸命拭いていた。
涙にかすんで『プラチナメダル』が胸に輝いていた。
一週間ほどマスコミ関係者の取材が続いた後、その間もホルンの練習と射撃の 練習は続けていたが、思い掛けない郵便物がナンシーの元に届いた。そ れはフ ランソワーズからで、『プラチナメダル』と同じようなケースに入っていた。胸 をどきどきさせながら開けると、そのケースにはソウルオリン ピックの金メダ ルの左半分が入っていた。
その夕方、帰って来た父に事のあらましを話して相談すると、『友情のメダ ル』はぜひ完成させなさいと言う事で『プラチナメダル』を作った時に利 用し た貴金属店に電話した。
ほんの数日で友情のメダルは完成し、銀メダルの左半分はフランソワーズに送 られた。
フランソワーズの書いた手紙を飽く事なく読んでいると、芙美子が「ナン シー、またあの手紙読んでいるのかい。何が書いてあるのか、私にも読ませ て くれよ」
「そんなに言うなら見せるけど」
フランソワーズの手紙にはこんな事が書いてあった。
『親愛なるナンシー・ホールズ様
遅れてしまったけど、「友情のメダル」半分をあなたに送ります。正直、私自 身も迷いました。国の威信を懸けて取ったメダルに、傷を付ける、まし て半分 にするなんて。
でも、思いました。金メダルや銀メダルは掛け替えのないあなたとの友情に比 べれば取るに足らない物だって。金メダルはお金を出せば買えるけど、 (模造 品なら、ね)あなたとの友情はお金なんかじゃ絶対に買えないって。
だから、近くの貴金属店でお願いして半分にして貰って、その片方をあなた に送ります。
永遠の友情と共に
フランソワーズ・マヨール
追伸・英語で手紙を書くのは慣れてないけど、書き間違いや勘違いなど、もし あったら許して下さいね』
対してナンシーはこんな手紙をフランソワーズに書いた。
『親愛なるフランソワーズ・マヨール様
あなたからの「友情のメダル」半分、届いた時わくわくしながら封を開けたの を覚えてます。フランソワーズが私との約束、それもヒョウタンから駒 のよう な約束を叶えて下さった事、うれしく思います。でも、聞いて!もっとと言う か、自宅に帰ったら驚いた事があったの。ほら、私、取るのはプラ チナメダ ルって冗談半分に言っていたでしょう。そしたら父と母が、地域の皆と、お金を 出し合って「プラチナメダル」を作ってくれたの!ロスアン ジェルスオリン ピックの金メダリストの、名前は言えないんだけど、その方の好意でメダルの型を取らせてもらっ て、それを私の帰宅の時贈ってくれたの!
でも、その「プラチナメダル」よりもフランソワーズの「友情のメダル」の方 がずっと嬉しかったよ。だって本当の金メダルだもんね。さっそく父と 相談し て「プラチナメダル」を作った時の貴金属店にお願いして私の銀メダルを半分し て、残りをあなたに送ります。もし今度マスコミの取材があった ら「プラチナ メダル」も「友情のメダル」も放送してもらってビデオテープを送るね。
Je savais que tu viendrait.(私は貴方が来るのを知っていた)
最後はつまらないフランス語でごめんなさい。
永遠の友情と共に
ナンシー・ホールズ』
自分の手紙のコピーと共に『友情のメダル』を見て、フランソワーズと戦った 決勝戦を振り返った。もう何度もフラッシュバックして来る『友情のメ ダル』 の約束。決勝で結果を発表される瞬間。フランソワーズと上がった表彰台。
それから数日してフランソワーズから手紙があり、自分も『友情のメダル』を 作った事、フランソワーズが胸にそのメダルを掛けている所を撮った写 真を同 封してあった。
高校も長い夏休みが終わって元の学校生活が戻り、仲間と『プラチナメダル』 の事で盛り上がっているとつい『友情のメダル』の事を仲間の一人に漏 らして しまった。
その次の日、ABC テレビのラリーが電話を掛けてきた。『友情のメダル』の事 で取材したいと言う。断る事も出来ず引き受けると、その週末取材のインタ ビューでテレビのスタジ オに来て欲しいと言う。
土曜日の午後、スタジオに緊張して入るとラリーともう一人のアナウンサー、 それから数人のスタッフがいた。
「よろしく、アナウンサーのマイケル・ゴードンと申します」
「初めまして、ナンシー・ホールズです」
「まずは、ソウルオリンピックの銀メダル、おめでとうございました」
「ありがとうございます」
「オリンピックの決勝では六百点満点の見事な記録で、金メダルのフランソ ワーズ・マヨール選手と同じ記録だったのですが、予選の記録の関係で銀 メダ ルとなったわけですが、その辺りで心に残るエピソードがあったそうですね」
「はい、実は、表彰式の前に、彼女が一九三六年のベルリンオリンピックの棒 高跳びで西田修平氏と大江季雄氏が銀メダルと銅メダルを取ったのだけ ど、帰 国後お互いのメダルを切断して『友情のメダル』を作ったエピソードを紹介して くれたんです。それで私達も『友情のメダル』を作ろうって。西 田と大江は同 じ日本の選手ですが、国境を越えて友情を育んだ私達も、作らないかって。それ で、この前フランソワーズが自分の金メダルの半分を送っ てきてくれたんで す。私、嬉しくてすぐに『友情のメダル』を作ったんです。実は、『友情のメダ ル』を作ると言ってもその方法はわからなかったん で、父に相談したんです。 そしたら、『プラチナメダル』を作る時お世話になった貴金属店に紹介してくれ たんです」
「何ですか、その『プラチナメダル』って?」
「えへへ、ほら、私、取るなら『プラチナメダル』って冗談半分に言っていた じゃないですか。それで、両親が、私が帰国した時『プラチナメダル』 を作っ て渡してくれたんです」
「へえ、そんな事があったんですか。確かに、ナンシーさんのプレイは『プラ チナメダル』の価値があったかも知れませんね。今日は、その『プラチ ナメダ ル』と『友情のメダル』をお持ちいただきました。お見せ願いますか?」
「じゃあ、まず『友情のメダル』から。左半分が金メダルで、右が私の銀メダ ルなんです」
するとマイケルはひそひそ声で「ここでカメラのアップです」と言った。
「これ、リハーサルですよね?」とナンシーは同じくひそひそ声で言うと「本 番と思ってやって下さい」と返された。
「今、オリンピックの決勝での勇姿をご覧頂いていますが、金メダルと銀メダ ルで模様が一部違うんですね」
「私も、私初めてのオリンピックでしたが、金銀銅それぞれデザインされてい るんですね」
「所で、卒業後の進路は考えていらっしゃるんですか?」
「え、ええ、何となく、警察関係に行こうかなと。また父に口をきいてもらって」
「画面では表彰式の模様をご覧頂いていますが、表彰式の前にフランソワーズ さんから、友情のメダルを作ろうかと言う話になった」
「ええ。私が、自分のメダルが何色かしきりに心配するので、ナンシーはプラ チナメダルよって(笑)」
「それでは、そのプラチナメダルを見せて頂けましょうか」
「はい、これがその一番高いプラチナメダルです(笑)」
「一見銀メダルに見えますね」
「私も最初見た時銀メダルだと思ったんです。でも、父が特別なメダルだって 言って。これを見て、何か気になった事はありませんか、マイケルさ ん」彼女 はしきりにマイケルにウインクした。
「友情のメダルの右とも左とも模様が違いますね」
「実は、ソウルじゃなくロスアンジェルスオリンピックの金メダルの模様なん です。ロスアンジェルスオリンピックの、有名な金メダリストの、名前 は言え ないんだけど、その方のご好意で」
「最後に、次回のバルセロナオリンピックへ向けての抱負を」
「今度こそ、金メダルを取ります」
「ありがとうございました、ソウルオリンピックの銀メダリスト、ナンシー・ ホールズさんでした」
「カット!」
そこで放送関係者の色々な専門用語が飛び交ったが、要するに一回のテイクで 本番テイクも出来たのだとわかった。
「じゃあ、ナンシー。オーケーが出た。ご苦労様でした。いい警察官になって ください。また会いましょう」
するとラリーも来て、祝福の嵐。
「俺が捕まったらクチをきいて釈放させてくれよ、ミス・ホールズ」
「残念ながら、それはできないわ」
「そりゃそうだろう、ごめんよ」ラリーと握手して、スタジオを出た。