3 歓迎


 福岡空港に降りて入国管理手続きの列に並びこまごまとした事柄を聞かれる。 アメリカ出国の際に言ったのと同じ嘘を並べる。勿論英語で話した。

 その後手荷物を受け取り、彼女は昔懐かしい鰐皮のホルン・ケースを受け取った。彼女に対し英語で声を掛けて行く旅行者たち。

 美枝子はこうして嘘を付くのもだんだんと疲れてきた。もう嫌だった。ナン シー・ホールズと呼ばれ菅原美枝子と呼ばれる、二重の自分に嫌気が差し てい た。しばらく出口に向かって歩いて行くと、福岡県警の出迎えがあった。制服警察官が二名、山口に向 かい敬礼した。「山口警部、お役目ご苦労様です」彼らは口々にそ う言った。 後ろの方から私服警察官が出て来たので山口警部は彼の方を見ると「小林刑事、 お久しぶりです」と声を掛けた。

 小林と呼ばれた刑事は、薄い胡麻塩頭をポリポリ掻くと

 「山口警部、何でもニューヨークから直行で福岡までお越しだそうで」

 「ああ、こちらの菅原特務室室長と同じ便だった」

 そう言われて美枝子はちょっと不思議な気がした。ニューヨークから成田まで そんなに多くの便が出ているとも思えない。とすれば山口もあの便に 乗ってい たのだろうか。

 そう思っていると山口は口を美枝子の耳に寄せると

 「私はエコノミークラスだったんだよ、君の分は私のポケットマネーから出し ておいたんだ」と言った。

 そう言われてまだ疑問が残ったが、すぐにその疑問は忘れた。すると小林刑事 が口を出した。

 「特務室の室長は宮崎さんだったのでは」

 「ああ、彼なら先日第一課課長に昇進した」

 「まあともかく車を用意していますからこちらにどうぞ」

 彼はそう言って先に立って歩き始めた。

 福岡空港の出口に赤色灯を灯した黒い車やパトカーが何台か止まっていた。そ の内の一台に美枝子は案内された。後ろの右の席に山口、左に美枝子が 座った。

 「説明が遅れて申し訳ないな、福岡県警が犯人を全力で追っているんだ。君に も協力して貰わないとな」

 「私も以前は警視庁の刑事よ。勿論協力するわ、何より私の母が撃たれたんで すもの」

 「君のお母さんは病院の六階東病棟に入院している。刑事が張っているが油断 は出来ない。君も気を付けろ」

 しばらく走るとその病院は見えて来た。福岡春日病院である。

 車を降りて病院に入り、エレベーターに小林刑事と山口警部と共に乗った。六 階のボタンを押し途中で何回か患者さんや医師が乗り降りするのを待 ち、東病 棟の方に向かうと看護師が何か小林刑事に話しかけて来た。小林刑事が何か言う と看護師は急いで戻って行った。

 「ここだ、この個室だ、私は外で待ってるから美枝子刑事と山口警部は菅原芙 美子さんに会って来て下さい」

 小林刑事は個室のドアを開け、二人を入れるとドアを閉めた。

 「お母さん、久しぶりね」

 「美枝子・・・待っていたよ。ごめんね・・・撃たれちゃった」

 「フランソワーズが撃ったって本当?」

 「私、まだそんなに眼は悪くないの」

 「そう・・・そうなの・・・」

 「おや、美枝子、何か楽器を持っているね、それはもしかしてお前の・・・ 」

 「よくわかるわね、私のホルンよ」

 「昔、よくお前のホルンを聞いたね、私も若い頃、サキソフォンをやっていてね」

 「お母さん、サキソフォンを持っていたものね」

 「何か一曲やっておくれよ」

 「でも、病院だし、うるさいでしょ」

 そう美枝子が言うと山口警部が「いや、許可は取ってあるんだ」と言った。

 「あ、そうなの」ホルンの謎が少しは解けた気がした。「お母さん、実は私今 ニューヨーク交響楽団で、ホルンをやっているの。旅にもホルンを持っ て来た の。ほら、交響楽団の団員証」と団員証を見せた。

 美枝子はホルンを取り出して組み立てると、「それじゃ、ラフマニノフ作曲の 『ヴォカリーズ』を」

 それは「ヴォカリーズ」の三十一小節目の時だった。銃声がして、窓に小さな 穴が開いた。美枝子が立っているすぐ傍に着弾した。

 美枝子は楽器を置くとすぐに拳銃を取り出し、隣のマンションに人影を探した。

 「くそ!さっき徹底的に探したのに、やられたか」山口警部は叫んだ。何人か 警察官が駆け込んで来た。

 「私を狙ったにしてはお粗末だねえ」芙美子は言った。「『組織《ツェレ》』の人間なら 少なくとも私のベッドくらいには弾が当たるよ」美枝子が母に駆け寄る と、芙 美子は「美枝子、***」と口だけを動かして言葉を伝えようとした。

 「何、母さん」と母の口元を見つめると母はもう一度だけ口を動かした。

 『腋の下?』「母さん、何それ?」

 「お前が見落としている事だよ」

 「私が見落としている事?」

 「生まれつきの物だよ」母はそう言うと軽くウインクした。

 山口警部が美枝子に駆け寄るとこう言った。「フランソワーズ自身かな、フラ ンソワーズならライフルでは外さないだろうからな」

 「そう・・・フランソワーズが一番怪しいようだけど違うわ」

 しばらく経って、向かいのマンションで警察官たちが捜査しているのが見えた。

 「小林刑事、マンションには薬莢が1つ落ちていた他は不審な人影はないとの 事です。容疑者はマンションの七階から狙ったと言う事で、現在全力を 挙げて 捜査中です。」

 「マンションの全住人に聞き込みをしろ」

 「もう向かっています」

 ・・・私の生まれつきの物・・・私が見落としている事・・・『腋の下』?美 枝子はそう考えた。そう言えば右の腋の下におできのような物があっ た。あま りにも当たり前で生まれつきの物だから疑問にも思わなかった。これがどうした と言うのだろう。

 慌ただしい警察官たちの中で、美枝子は回想を始めた。




目次
Xcode 11 の新機能
レジデント

マグナム 闇に光る

第1章: 狙撃
第1章: (1) 夜の狭間
第1章: (2) 帰国
第1章: (3) 歓迎
第2章: 過去
第2章: (1) 生誕
第2章: (2) 地方予選
第2章: (3) オリンピック
第2章: (4) 選手村の休息
第2章: (5) 決勝
第2章: (6) 閉会式
第2章: (7) 帰郷
第3章: 卒業と就職
第3章: (1) 卒業
第3章: (2) 警察学校
第4章: 疑惑
第4章: (1) それた銃弾
第4章: (2) 手術












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