マグナム 闇に光る
米崎周太郎 ・作第1章
狙撃
(1) 夜の狭間
夜中、ふと目が覚めた。すぐに枕元の拳銃に触れた。スミス・アンド・ウェッ ソンマグナム四十四口径である。常にフル装填してある。気配に耳をそ ばだてた。常夜灯の光でごくわずかに見える入口のドアに目をやった。するとすぐに電話が鳴った。
『もしもし、ナンシー様ですか』
「はい、そうですが」
『フロントに警察のヤマグチ様と言う方がいらしてナンシー様に面会をしたい と言う事ですが』
「ヤマグチ?ファーストネームは?」
『シサーシ様と言っています』
日本の警視庁の警部山口久に違いなかった。ふと時計を見た。午前二時十三分 だった。
「今フロントに降りて行くから待っていて貰って」
ハンドバッグに拳銃を入れ、小脇に抱えて入口のドア付近のルームキーを手に した。ハンドバッグに入れるにしてはマグナムは大き過ぎるし重過ぎる と何年 か前当時一緒に働いていたフランソワーズにたしなめられた事がある。でもどう してもこれでなければならない理由が今の彼女にはあった。十三年前、そして十年前命をぎりぎりの所で二度救ってくれた拳銃がスミス・アンド・ウェッソンマ グナムだった。
エレベーターを降りフロントに向かうとそこには警視庁の警部山口久がいた。
「しばらくぶりだな、美枝子」
「こんな時間に何のご用?」
「フランソワーズ・マヨールが君のお母さんを撃った」
「え?そんな馬鹿な、フランソワーズが?何故?お母さんは無事なの?」
「何故撃ったか聞くために今日ここに来たのだよ。お母さんは心配しなくてもいい、無事だ。左足を怪我して近くの病院に入院した」
「でもなぜフランソワーズが・・・ 」
「君もわからないか」
「フランソワーズはICPOの一員だったはず。それがなぜ」
「君も警視庁の女性警察官として将来を嘱望されていたはずだ、それが何故今 ここにいる」
「・・・」
「君のお母さんは何かと秘密の多い女だった・・・いやまだ生きてるから、ら しいな、と言うべきか」
「そうらしいわね」
「君のお母さんは戦時中ロシアに渡り、時のドミトーリ将軍の目に留まり愛人 となり、ロシア帝国の財宝にからんだ秘密の鍵を握っているらしい、 と。そこ まではいいんだが、ソ連の解体と共にその財宝も鍵も意味がなくなってしまった らしい。しかし二〇〇六年六月、GoogleEarth の画像を見ていた学生がロシア で、何らかの発見をした。そして七月三十日、今日だが、日本時間の午前十一時 三十分、君のお母さんが撃たれた。その知らせを 受けニューヨーク市警の協力 でナンシー・ホールズを探し当てた、と言う訳だ」
「さすが桜田門ね。そこまでよく調べたわ、でもなぜナンシー・ホールズの名 前を調べたの」
「リチャード・クーパーを知ってるだろう」
「ええ、いやと言うほど」
「君の元ご主人だよ、殺された」
「殺された?暗殺よ、あれは・・・仲間に裏切られたんだわ」美枝子は涙を流 した。
「罠・・・だったのか」
「ごめんなさい・・・その時の記憶所々覚えていないの」美枝子はひとしきり 泣いた。
「君のお母さん・・・芙美子さんに会いに行かないか?」
そう言われて美枝子はハンカチを取り出すと涙を拭いた。帰るとすれば実に八 年ぶりの日本となる。
「私・・・もう五年以上も母に会っていないの」
「芙美子さんは君に会いたがっていたよ」
「そう?そんなはずはないけど・・・」
「私には恩義を感じているはずだな」
警視庁捜査第一課特務室。そこが美枝子の配属されていた所であった。当時そ この室長が山口久であった。
「私、お母さんに会いたい!でも、きっと拒絶されるわ、それが怖いの」
「君は特務室に配属されてわずか三年ほどでやめたのだったな・・・娘を拒絶 する母なんて絶対あり得ないよ。会いに行こう。」
美枝子はリチャード・クーパーに出会いアメリカのソルトレイク・シティーに 渡った。ある事情があって彼らは決して結ばれる事が出来ない運命だっ たのだ がしかし彼らは激しい恋に落ちた。
そしてそこに潜伏した彼らは、リチャードはコックを、美枝子はウェイトレス をして糊口を凌いだ。しかし「組織《ツェレ》」はすぐにそこを突き止めた。
「一匹狼の女殺し屋気取り・・・そんな私を許すと?」
「君は子供はいない・・・そうだな」
「・・・」
「子供がいればわかるよ」
「これ、明日の十三時三十分発成田行だ・・・乗ってくれ。それから、これ。」
そう言うと彼はチケットと、もう一つ楽器を入れる鞄を渡した。
「この鞄に入れておけば拳銃も手荷物として預けられる。飛行機の座席に持ち 込むのはさすがに無理だ。それから、君はホルン奏者と言う事になる。 後で中 を見ておけ」
美枝子は中学生時代以来ホルンをやっており、現在も時折吹いていた。特務室勤務の 折りも時々腕前を披露した。「これがニューヨーク交響楽団の団員証明 書だ。 ナンシー・ホールズの名前だ」
彼は写真入りのカードを渡した。「空港で何か言われたらそれを提示すればいい」
「それからこれも」彼は写真入りの日本の警察手帳を渡した。警視庁捜査第一 課特務室室長、菅原美枝子と書いてあった。
考えれば、数年前に日本の菅原美枝子名義のパスポートを取得する際に、写真 を撮った。日本に行かずにパスポートを取得できるように骨を折ってく れたの が山口であった。菅原美枝子、すなわちナンシー・ホールズは二つのパスポート を持っている事になる。日本のパスポートとアメリカのパスポー トである。
美枝子は、母芙美子が日本人、父マーティンがアメリカ人でロスアンジェルス で生まれた。二重国籍で成人してしばらく経った後にアメリカの国籍を選んだ。あまり 深く考 えたわけではなかったが、アメリカ国籍の方が世界的に活躍できると思ったから である。
「ほら、これがお母さんの入院している病院の名前とその電話番号、言うまで もないが日本に入国する時はナンシーだ」
彼はそう言ってマールボロメンソールに火を着けた。長袖のポロシャツに灰色 のズボン、茶色の革靴だった。観光客だと言えばそれまでだろう。
「所で山口警部、何でニューヨークにいるんですか」
「ICPOの仕事で先週ここに来ていてね。十一時頃君のお母さんが撃たれたと連 絡が入って、ニューヨーク市警のブルースをたたき起こした、と言 うわけさ」
「私の部屋でバーボンでもいかが」
「ふ・・・わかっていてそう聞くのか。私が愛妻家で今まで女房を泣かせた事 など一度もないと。いくら君が美人だろうと行かないよ」
「わかっていたわよ」
「じゃあまた会おう。福岡でお母さんが待っているからな」
「ええ、それじゃあ」
部屋に帰って山口から貰った鞄をあらためた。
見た目はホルンの鰐皮のハードケースである。
ケースを開けてみるとホルンが収めてある。アレキサンダーホルンの一〇三 MBLであった。彼女は一目見てそれが自分自身のホルンである事がわ かっ た。高校の時、とあるいきさつで手に入れたアレキサンダーホルンの一〇三 MBLだった。今現在の価格でも一万ドルはする。
「どこに銃をいれるのかしら」
彼女はホルン本体とベルを取り出して見た。するとその底に注意しなければわ からないほどの小さな、底の生地と同じ色のシルクのつまみがあった。 引っ 張って見るとフタが開き、ちょうど拳銃を収めるだけの穴が開いていた。
彼女はハンドバッグからスミス・アンド・ウェッソンマグナムを取り出しそこ に収めて見た。
「少し穴の方が大きいわね。あれ?この円柱状の穴は何かしら?マウスピース を入れる・・・わけないし・・・あ、そうか、サイレンサーを入れるの ね。こ こには代えの銃弾を入れとくか」彼女はこの稼業は長いが、サイレンサーを使お うと思った事は一度もない。その必要もなかったのだ。考えたら 代えの銃弾が あと十発しかなかった。日本から帰ったらリーボの店に寄って銃弾の予備を買わ なければならなかった。
「待てよ・・・日本にも四十四使ってるのいたわね、その人から貰えばいいの よ」時計を見たら三時近かった。目覚まし時計を七時半にあわせ、ベッ ドに横 になった。
眼を閉じると母の顔が思い浮かんだ。美枝子がリチャードと結婚しようとして いると知って猛烈に悲しんだ。当時何故悲しむのか聞いたが、その理由 はその時はとう とう言わなかった。今は何となくわかる気がする。美枝子ももう三十七歳になろ うとしている。もう若くはない。でも今更普通の生活には戻れな いのだった。 普通の仕事、結婚して子供を産み育て、母として女として幸せな生活を送る。そ の夢はリチャードが死んだ時に捨てたはずだった。そう考 えたら泣けてきた。
「ダメよ、今は寝なきゃ」バーボンを一口啜った。