(2) 帰国


 出国審査の時考えていた通りひともめあった。荷物の楽器を改めさせて欲しい と言う。

 「楽器は何ですか」

 「フレンチ・ホルンです」

 「フレンチ・ホルンですか」

 「はい」

 「ちょっと開けますね・・・これがホルンですね。うん、怪しいものはないな」

 「私、ニューヨーク交響楽団の団員でして、日本に演奏旅行に行くんです」ナ ンシーの証明書を見せた。

 「おお、この前マゼールの『フィンランディア』聞きに行きましたよ。所で他 のお仲間は」

 「私だけ観光がてら早めに行くんです」

 「それではお気をつけて」

 搭乗手続きを済ませ、ファーストクラスの椅子でバランタインの十七年物を口 に含んでいると飛行機は離陸態勢に入った。

 美枝子は、これで何回目の日本行きになるか考えて見た。六歳の頃から両親は 毎年夏と冬に美枝子を日本に連れて行った。その頃自分が純粋のアメリ カ人で はなく日本人との混血だと知った。学校の皆にはひたすら隠した。ロスは日本人 観光客が多い町だが、日本人が日本語で話しかけて来てもわから ないふりをし ていた。高校卒業の頃には日本語も英語も完璧に話せた。父が ICPO の仕事をし ていたので、日本の警視庁に推薦してもらい特務室に配属された・・・父は美枝 子が二十六歳の時胃癌で亡くなった。五十六歳だった。

 美枝子は、過ぎて行くニューヨークの風景を見ながら亡き父の面影を追想し た。父は美枝子と同じく酒が好きでシングルモルトのスコッチなどを夜飲 んで いたのを覚えている。父がトイレに行った隙に飲み残しの酒を彼女は口に含ん だ。口当たりは辛かったが、体全体が暖かくなったのを覚えている。 しかし父 は決してタバコは吸わなかった。それについては彼女は感謝していた。

 いつの間にか眠っていた。飛行機の中は暗かった。窓を開けると、太陽の光が 差し込んできた。窓を閉じ、イヤーピースをはめて「SAYURI」を 見た。 時計を見ると午後七時半だった。腕時計のボタンを押して日本時間に変更した。

 「SAYURI」を見ながらまた少しスコッチを口に含んだ。

 『少し寝なきゃ』美枝子は寝ているまわりの乗客を見回し、ディスプレイを消 した。うとうとする間に短い夢を見た。

 警視庁特務室に勤めてから三年目、つまり今から十三年前の事だった。今日と同じように、母が誘拐された と匿名の電話があった。捜査第二課の協力を得て、母の居場所がほぼ特 定でき た。北海道の函館だった。すぐに函館に飛んだ。北海道警の女性刑事と行動を共 にする事になり、函館市内のホテルに二人で泊まった。室内に忘 れ物をしたの に気付き一人で戻った時だった。後ろから拳銃で殴られ気絶した。

 気が付くと覆面の男が立っており、腕は後ろで椅子に縛られていた。暗く、机 から明るいライトが照らしていた。

 「気が付いたかね、ナンシー・ホールズ君」

 「何故私を誘拐した」

 「君のお母さんはただの囮だよ、本命は君さ」

 「私に何の用」

 「君がロシア皇帝の秘宝の秘密を知っているはずだと聞いてね」

 「またその話?知らないわよ」

 「しらばっくれても無駄だよ。こっちにはこれがある。私はミッシェル・メル ド・・・これから長いつきあいになりそうだからね」メルドは注射器を 手にした。

 「そして、彼女を見てさんざん嘆くんだな。入れ、ナターリア」

 そう言われて入ってきたのは、何とあの北海道警の女性刑事だった。

 「ふふ・・・美枝子刑事、私を見て驚いたようね。私の本当の名前はナターリ ア・コリンスキー。ロシア人よ。あなたの本当の名前がナンシー・ホー ルズだ と言うのと同じように、私も二つの名前を持ってるの」

 そして彼女は美枝子に注射をした。

 「さあ、吐くんだ・・・どこにその秘密はあるんだ」

 「・・・」

 「ナターリア、もう一本注射を打て」

 ナターリアがもう一本注射を打つと表で騒がしい音がした。

 「まずい、バレた、ずらかるぞ」

 「待て!」大きな声がしてドアに数発銃弾が撃ち込まれた。ドアを蹴破って日 本の刑事たちが踏み込んできた。

 「@#*$%&+!!」

 メルドとナターリアは彼らに向かって数発弾を撃った。

 メルドは美枝子を盾に使った。美枝子はその事をほとんど覚えていない。その時刑事た ちの指揮を執ったのが山口久である。久はリチャード・クーパーを伴っ てい た。リチャード・クーパーは当時メルドを追っていた。リチャードはナンシーを 見つけると果敢に彼らに向かって行った。メルドは射撃の名手だっ たと言う。 数発目にリチャードは右太股に弾を食らってしまった。しかしリチャードが両手 で支えたスミス・アンド・ウエッソンマグナムがメルドの左 胸を打ち抜いた。 そしてナターリアも他の者に殺されてしまった。

 勿論その事を美枝子が知ったのはしばらく経ってからだった。

 リチャードはその時美枝子の口から、何故美枝子がつけ狙われるか、その秘密 を聞いた・・・そして彼らはソルトレイク・シティーに逃げたのだ。

 眼を開けると看護婦が立っていた・・・実際に見えたのはキャビン・アテンダ ントだった。

 「お客様・・・日本食になさいますか洋食になさいますか」

 「洋食をお願い」

 日本時間で午後二時半だった。あと二時間ほどで成田に着く。

 美枝子は何となく考えた・・・またあの悲劇が繰り返されるのか。母が撃たれ たと言う。

 その理由は多分自分のせいなのだと思う。だから身を隠して一匹狼の殺し屋気 取りなどしているのだ。何度となく美枝子の出自やロシア皇帝の秘宝を巡って殺人が繰り広 げられ た。ある時はロシアの、ある時はアメリカの秘密組織が美枝子を巡って争奪戦を 繰り広げた。その為日本の警視庁にもいられなくなったの だ。・・・嫌だ。も うごめんだ。自分の為に人が死ぬなど。しかし降りかかる火の粉は払わねば自分 が死んでしまう。

 十年前夫リチャードはこんな自分を守って死んだのだ。アメリカのワシントン にいた時である。友人宅で少し酒を飲み、二人で帰る途中、銃声がして 夫は右 足を撃たれた。歩けなくなった夫は必死に美枝子を逃がそうとした。美枝子は油 断をして銃を携帯していなかった。その内銃声は美枝子をも狙っ てきた。リ チャードは必死に応戦した。しばらくするとリチャードは致命傷を負う銃弾を受 けた。横たわるリチャードから拳銃を受け取り、必死に銃声 から逃げ応戦し た。そのうち地元警察の出動があり美枝子は警察に保護された。次の日、夫が亡く なったと告げられた。夫の遺体は見ない方がいいと言わ れ見なかった。

 その時夫から受け取ったのが、例のスミス・アンド・ウエッソンマグナム四十 四である。彼女にとっては夫の形見であり、二回にわたり彼女を救って くれた 武器である。

 『お客様にお知らせします・・・当機は成田国際空港にあと三十分ほどで到着 いたします。予定時刻より十分遅れの現地時間一六時三十分到着予定で ござい ます』

 機内アナウンスで現実に連れ戻された。日本の夏空が窓の外に広がっていた。 山口は福岡までのチケットを用意してくれていた。内ポケットの中でそ のチ ケットを確かめる。ANA2143便、一七:五五発である。

 飛行機はしばらくして成田に着陸したので美枝子は機内アナウンスに従い飛行 機を降りた。

 福岡空港行きの飛行機に乗り換えるため、だらだら続く通路をどこまでも歩い て行く。しばらく待ち合わせの時間があったためロビーで何となく時間 を潰し ていると後ろから左肩を叩かれた。

 振り向くと山口久だった。

 「やあ、美枝子刑事、お勤めご苦労さん。例の荷物は見つからなかったかね?」

 「見つからなかったわ」

 「隣の席、いいかな?」彼はそう言いながら隣に座ると人懐っこそうな笑顔を 振りまいた。

 「お母さん、芙美子さんだけどね、整形外科の病棟に入院しているんだ・・・ 左の脛骨を骨折している。撃たれた三十日に、弾丸の摘出手術を受けて いる。 当然ながら今は歩けない」

 「左の脛骨?脛骨ってどこ?」

 「下腿、つまり下の足の太い方の骨だよ。私も医者じゃないから詳しい事は知 らない」彼は足の下辺りを触れながらそう言った。

 「ところで・・・あの、私のホルン取っていて頂きありがとうございました。 でも何か意味があるの」

 「ふ・・・その内わかるさ」

 「ちょっと飲まないか」山口は飲み物を勧めた。

 「ええ」彼女は言った。

 「そこの売店で買ってきたんだ」山口はそう言った。

 「乾杯はしないぞ」山口はコップに注いだビールに口を付けた。

 「山口警部の健康に乾杯」美枝子は、いたずらっぽい笑顔でビールに口を付けた。





目次
Xcode 9 の新機能
レジデント

マグナム 闇に光る

第1章: 狙撃
第1章: (1) 夜の狭間
第1章: (2) 帰国




















縦書きの原稿を横書きに変換しているため、表現が所々おかしな場所があるが、(漢数字など)そういった訳なので見逃して欲しい。